気になったので書いてみた

http://d.hatena.ne.jp/shivashanti/20090212 を読んで気になってしまったので書いてみました。

  1. 「本質的に経済的価値がない物を生産する人は本質的に経済的価値がない」
  2. 「上記1に該当する者に対し、育成、維持に費用と時間が掛かることを考えれば存在自体が社会的コスト」

という主張で気になったので、二つの単語、「本質的」と、「社会的コスト」について調べてみた。

本質的

本質(ほんしつ)(希 ουσια (ousia), 羅 substantia / essentia)とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質をいう。もしくはそうした性質からなる理念的な実体をいう場合もある。或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答え(「何性」)として与えられるもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%B3%AA

社会的コスト

社会的コストとは、公害や自然破壊など、環境悪化に伴って、発生源者以外が負担させられることになる損失のこと。
市場価格に反映させることが難しく、コスト負担者が発生源者以外になることから、関係者間の公平性を巡って問題となる。
http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_217.html

社会的ってきつくない?

具体例を上げて

・ アーティストは絵や音楽を生産(?)するが本質的に経済的価値がないのか?
・ 喫茶店の雇われマスターはコーヒーを生産(いれる)が本質的に経済的価値がないのか?
つまり、アーティストや喫茶店の雇われマスターは社会的コスト?

実存的に改めてみる

  1. 「実存的に経済的価値がない物を生産する人は実存的に経済的価値がない」
  2. 「上記1に該当する者に対し、育成、維持に費用と時間が掛かることを考えればコスト」

こっちは、しっくりくるんだよな。

  1. 「実存的に経済的価値がある物を生産する人は実存的に経済的価値がある」
  2. 「上記1に該当する者に対し、育成、維持に費用と時間が掛かるがこれは資産が減って費用が増える」
  3. 「生産をすると資産が減って費用増える」
  4. 「生産された物が売れた場合、収益が増えて資産が増える」

上記3は、固定費の場合はないかもしれない。おなじく上記3の時には経済的価値がある物を生産しているので資産が増加する場合も出てくる。

ここからは、私の考え

本質的よりも実存的の方が今回の場合は、しっくりくるんですよ。
コンピューターシステムがコストイーターであるというのはわかっていて、運用や維持をしていきます。つまり費用をかけ続けます。それでもコンピューターシステム作るということは、損益上の判断が入るわけです。そのために最初にお金がかかるのが投資になります。損益上の判断で、コンピューターシステムを作らないのと、手作業で継続していくのを秤にかけますよね。手作業で継続していくのが素晴らしければ、そちらをすればいいと思います。

さらにエンジニアとプログラマの違いについて

こちらも、本質的よりも実存的な方がしっくりくると思うのです。

 エンジニアが目指すところは「システムなしで要求を満たすこと」です。
http://d.hatena.ne.jp/shivashanti/20090212#1234450155

エンジニアが目指すところは「要求を最適に満たすこと」になると思います。つまり、システムを作らねばならない判断もあるということです。それは、コンサルの仕事って言われるかもしれないと思いつつ。
なんか、コンサルの人が「エンジニアは価値がない」とか、「プログラマの人は価値がない」と言っているような感じで嫌な気分になってしまいました。
あとコストって言われるのはわかるんですが、負債って言われるのがよく解らないんですよね。できたら、解説お願いします。